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ryoです。
講談師の神田伯山(かんだはくざん)さんがアナザースカイⅡに出演して父親との約束について紹介されていましたね。
神田伯山さんの父親(古館豊)さんの死因や伯山さんとの約束について記事にして紹介します。
神田伯山(かんだはくざん)の父親は?
神田伯山さんの父親は古館豊さんです。
柔道の地域大会で優勝経験もあります。
高校を卒業後は、学費を稼ぐために一浪し立教大学へ進学されています。
さらに自分の学費だけではなく、弟の学費まで稼ぎながら学生時代を送った苦労人だそそうです。
昭和51年に貿易会社に就職し、当時はまだなかった有機栽培のバナナを他社に先駆けて作ろうとしていました。
神田さんは、お父様がまわりの方に「課長」と呼ばれていたことをうっすら記憶しているそうです。
きっと責任のある立場で、有機栽培のバナナに取り組んでいたのでしょうね。
しかし、平成6年のある日警察から連絡があり、お父様が亡くなったことを知ったそうです。
神田さんが小学校4年生、お父様の豊さんはまだ42歳という若さでした。
父(豊さん)の死因は、自殺だったようです。
おやじは貿易の仕事をしてたみたいですね。僕のおやじのイメージは会社員で、課長、課長ってやたらと言われていたという。電話で『黄金のバナナが出来る』って話しているのを横で聴いていた記憶があります。当時有機栽培のバナナってなかったらしいんですけど、それを他社に先駆けて作ろうとしていた、という話だったみたいです。おやじの記憶は九歳までしかない。ときどきキャッチボールをしてくれる課長、ですね」
記憶が九歳で途切れているのは、父親が九歳のときに急に亡くなったからだ。
「おやじが突然いなくなって、母親がずっとおろおろしてたんですよ。こんなことは今までなかった、何かあったに違いないって。それから二日後に、図工でサルの人形を作ったんです。僕はすごい不器用なんですけど、親ザルと子ザルが抱き合って、ゆっさゆっさするみたいな。すごい出来がよかったから、これを見せれば母親はおやじが帰ってこなくても喜ぶに違いないって、子供だから思いました。で、その日帰ったら、母親が今までに見たことないような顔をしているんですよ。ちょっと話あるからって連れていかれたら、じいちゃんもばあちゃんも、兄貴もいた。そのときの光景も覚えてます。警察から連絡があって、お父さんが死んだ、と言われたときの、とりあえず実感はないんだけど、父親がいなくなったことだけはわかったというあの空気も」
https://cakes.mu/posts/17284より引用
幼いながらも父親の死を目にして、現実として認識する瞬間は何ともいえないものがあります。
きっと、何度も何度も泣いてやっと現実として認識できるようになったのでしょうね。
神田伯山さんの母親を紹介!
神田伯山さんの母親はミヱ子さんです。
御主人亡き後は実家に戻り子育てをしていたそうです。
ただ、専ら育児自体は祖母に任せていたそうでミヱ子さん自身はおむつの変え方や哺乳瓶の使い方も分からないそう。
神田伯山さんは35年越しにカミングアウトされとても驚いたそうです。
父親との約束を果たすために父親のルーツ「佐賀」に!
アナザースカイでは父親との約束を果たすために佐賀に。
先祖の墓石へ墓参りして、父との約束について語られていました。
お父様との約束は先祖の墓参りをすることだったそうです。
神田伯山さんの先祖は腕利き大工でした。
その腕を買われて武家御用達の大工になったそうです。
大工だけではなく武士としても才覚を現わし武家としての功績を残しています。
また、講談についての熱い思いも。
今や数少ない講談師として活動を続ける神田伯山さんはカッコいいなと思いました。
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まとめ
講談師の神田伯山さんの父親について記事にまとめて紹介しました。
父との約束を胸に一心に講談をする神田伯山さんの今後にも注目したいですね。
youtubeチャンネルでの配信もされているので気になったからは是非見てみてください。
神田伯山さんのyoutubeチャンネルはこちらから
▶https://www.youtube.com/channel/UC6sBGA0-ZWTG746AopMdaWg
また、神田伯山さんの関連記事も作成していますので是非見てみてください。
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