似鳥昭雄の大学(学歴名言)は?娘や自宅・血液型を紹介!

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ryoです。

カンブリア宮殿で大手家具店「ニトリ」の創業者である似鳥昭雄さんについて特集がありました。

普段ニトリで買い物している私ですが、創業者の似鳥昭雄さんについては全然知らなかったため似鳥昭雄さんについて大学や娘、名言などを掘り下げて記事にしましたので紹介したいと思います。

株式会社「ニトリ」創業者・似鳥昭雄のプロフィールを紹介!

似鳥昭雄(ニトリ会長)プロフィール!妻や子供は?資産年収や本も!【激レアさんを連れてきた】 | マダム・アフロの旬な情報調べてみました

  • 名前 似鳥昭雄
  • 生年月日 1944年3月5日生まれ
  • 年齢(66歳)
  • 出身 樺太(サハリン)
  • 血液型 O型
  • 学歴
    1962年3月 北海道工業高等学校(現 北海道尚志学園高等学校)卒業
    1966年3月 北海学園大学 経済学部 卒業職歴

1967年12月 似鳥家具店創業
1972年3月 会社設立

主な役職
日本チェーンストア協会        副会長(平成22年5月~)
日本経済団体連合会          理事(平成20年5月28日~)
北海道経済連合会           常任理事(平成16年6月~)
札幌商工会議所            常議員(平成6年8月~)
株式会社ニッセンレンライフ      非常勤取締役(平成19年1月~)
社団法人札幌交響楽団         理事(平成16年6月~)
在札幌フランス共和国名誉領事館    名誉領事(平成19年7月~)
全国旅行業協会            理事(平成20年8月~)
FEC民間外交推進協会        理事(平成20年9月~)

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似鳥昭雄の子供(娘息子)は?

似鳥昭雄会長には2人の子供がおり、大手印刷メーカーに勤めてる息子さんとニトリに勤務してる娘さんがいます。

息子さんとニトリに入れて後継者としなかったのか気になるところですが、その理由は「後継者とみられて派閥ができるから」なんだそうです。

また、ニトリで勤務する娘さんが社内結婚した場合、その夫には会社を辞めてもらうそうです。

創業者の2代目として見られる家族世襲する敬礼をどうやら似鳥昭雄会長には最初からするつもりはないようですね。

確かに世襲となると、次の後継者次第で会社が傾いてしまいます。

それよりも、優秀な人材に社長をしてもらった方が会社は成長できます。

流石は家具業界で首位を独走するニトリだけあって、古臭い考えを持っていては最前線で戦えないということなのでしょうね。

似鳥社長の名言やエピソードを紹介!

経歴
1944年樺太に生まれ、札幌で育っています。
小学生の時は自分の名前も漢字で書けない劣等性だったそうです。
大学卒業後、広告会社、土木会社等を転々としていたそうです。
「努力も嫌いだったし、楽してさぼって、なんとその日を生きていればいいって思ってた」と語っています。

あとは商売しかないと思い、家具屋を創業しました。
「似鳥家具卸センター 北支店」からのスタート(近所に家具屋が無かったからという理由だった。)でした。

この家具店、売上は当初芳しくありませんでした。
その理由は、似鳥さん自身が対人恐怖症で赤面、緊張、
どもり症だったため全く売り上げがなかったそうです。

しかし24歳のときに奥さん百百代さんと結婚。
この奥さんが救世主となり愛嬌があって接客上手の百百代さんがめきめきと売上を上
げていきました。

奥さんの話だと似鳥社長は仕事をしないでパチンコしていたこともあったそうです(笑)
夫婦で配達に行った時も、配達先の若いきれいな奥さんに
「ご苦労様、ちょっと休んでいかれませんか?」と誘われ、
奥さんを残したまま家に上がりこみ、気がついたら2時間に
渡ってビールを飲んだいた。というエピソードも。

27歳の時に2号店をオープンさせましたが、ライバル店ができると売上が激減した。
銀行の融資も止められ、資金ショート。軌道に乗りかけましたが突如倒産の危機に!

当時似鳥社長はうつ状態になってしまい死ぬことばかり考えたそうです。

そんな時、家具のアメリカ視察ツアーの話があり、
「行ってみてだめだったらまた自殺も考えればいいさ」
と思い、28歳の時(1972年)親戚に借金をしまくって
アメリカに渡りました。
中学時代の恩師から「悔いの無いような人生で失敗してもいい
から思い切ってやれ」といわれた言葉がいつも頭の中にあった似鳥会長は「ダメで元々」!とアメリカに行きこんでいきました。

家具のアメリカ視察ツアーに参加した。
そこで目にしたのが”リーズナブルでおしゃれな家具”だった。
「こんな家具を日本にも広めたい」と衝撃を受けた似鳥会長。
落ち込んでも次は前向き、プラス思考。そして即断即決!”を信条とする似鳥会長は考え方として深く考えない、なんとかなるさの精神。ダメで元々の精神。がありました。
それでいて常にお客様のことを一番に考える。即実行!とにかくあれこれ考えるよりも実行することに注力したそうです。

帰国後の破天荒な作戦は、これまでの家具業界の中ではだれもしていなかった革新的なビジネス転換でした。
それは問屋飛ばし(問屋を通さずにメーカーから直接仕入れる方法。)をするというアイデア。
当時はそんなことをしたらご法度中のご法度だったので、夜中にこっそりと 商品を運んでいたがばれてしまい、契約を打ち切られる毎日だったそうです。転々とメーカーを変え、本州、九州、海外へと仕入れ先を変えていき目指したのは価格破壊です。
「やっぱり、お客さんに安くしたい、お客さんが喜ぶ顔が見たい」という一心でいい商品をとにかく安くお客さんに売るという信念を貫いた似鳥会長。
二トリの原点・・・お値段以上ニトリが決まった瞬間でした。
”発想の転換でピンチをチャンスに替える”というのも似鳥会長の名言として有名です。

1975年4号店をオープンした際に空気で膨らませたエアドーム型の店はオープン初日を控えていた矢先に大雪のため、店が押しつぶされてしまった。

これでは営業できない”衝撃でほとんどの商品が傷んでしまうという大ピンチだったが、似鳥社長はそのピンチさえチャンスに替えてしまいます。
「傷物ハンパ物大会」と銘打って大安売りセールに切り替えたのでした。
これが大盛況だったのです!!

奥様の話によると、似鳥社長は「思いついたらすぐに実行に
移すアイデアマン」だといいます。
それが似鳥社長の長所ですと言い切ってました。

その後の経歴
1994年インドネシアに生産工場を設け、2002年に東証一部上場を果たし現在に至ります。
世界で400店舗を構え、年商は4173億。

似鳥社長自身は、この人生を振り返って
「運が良かった」とおっしゃっています。

「前向きに乗り越えようと無我夢中でやってたら、
終わって何倍にもなって返ってくる」
勉強は無駄!それをする時間があったら実行してそっちに
時間を使う。

・「やるためにはどうするかをまず考える」
・「マイナスなことは考えない」
・「障害は考えない」
・「障害は乗り越えるためにある」

普通の人は
「障害があるからやっぱり考えましょう」となる。

われわれは「行く」と決める。
そして色々なマイナスや障害は走りながら処理してゆく。

困難を乗り越えるコツは、攻めること!だそうです。
即断即決もそのひとつです。考えすぎると攻められない。
立ち止まってしまう。
運が回ってくる時は攻めているだと似鳥会長は考えます。
やはり、一流の経営者は普通の人間だと尻込みしてしまうような状況でも攻めていく姿勢が大事なのですね。すごく勉強になるエピソードだと思いました。

 

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